この記事では、2022年12月8日に行われたトークイベント
「25歳で裸一貫アメリカ移住、どん底からシリコンバレーで会社を経営するまで」のイベントレポートをお届けしていきます!
登壇者紹介
Tsunehisa Nakajima
Fujisoft America COO兼CFO
https://twitter.com/carlostsune
ゲストスピーカー
日本に生まれ育って、25歳でアメリカに移住、帰化。サンフランシスコ在住の日系一世。ベース弾き。シリコンバレーでシステム開発会社を経営。
国籍を変えてみた
アメリカはグリーンカード(永住権)を毎年5万人に配っていて、たまたま抽選に当たったんですよ。
国籍を無理矢理剥がしてたら何か感覚変わるかなと思って剥がしてみたんです。すごく葛藤したんですよ。
やっぱり自分が自分じゃなくなるかもしれないとか、日本人じゃなくなってしまうことは
何か凄いこう自分に影響を与えるかもしれないと思ったんですけど、意外と俺は俺でした。
父にはショックを受けそうだったから言わなかったですけど。
言わなかったんですかw!!!
最近バレました(笑)
(笑)
親子であることは変わらないし、ただの紙切れと言うか事務処理の国籍だってことに、腹落ちしました。
ミュージシャンとして渡米して、、、遺伝子のスイッチが入る
25歳の時だったんですけど、ミュージシャンとしてアメリカに渡りました。
アメリカに行ってアテもなかったんですね。本当に知り合いも何もない。仕事もない。英語も喋れない。
何もない状態で、しかも初めての海外旅行が引っ越しでした。
引越し後、すぐに色んなオーディションを受けました。
けれど、いきなりミュージシャンとして飯がが食える訳じゃないので、日本食レストランの皿洗いをしながら、オーディションを受けながら暮らしていました。
自分はジャズを弾けるつもりで行ったら。僕の弾いてたのはジャズでなかったということにアメリカで気付くんですよ。
本当に死にものぐるいで頑張らなきゃい時に、頑張りきれなかったので、生活が苦しかったんです。
若い時に結婚したんけど、奥さんが一生懸命働いて生活を支えてくれちゃったんです。僕はたぶんヒモ的な感じで。家では負い目があるから。何か言わないといけないんですよ。
”世の中がさ、俺の才能を認めてくれなくってさ、、、”
それ!!!言ってました!それ!
それ言ってると、卑屈になっていくんですよね。
僕がホームレスになりかけたのが2010年。12年前ですね。
奥さんは働いてるし、実家の親が何とか助けてくれるだろうとか、すごく他人任せで、なめきってたんですよ。
”きっと誰かが助けてくれる。”と、本当に思っていたんですけど、それが全て絶たれたんです。
奥さんからは離婚を突き付けられて。生活が苦しくなり実家に連絡したら、「あなたは負け犬なので負け犬のまま帰ってくると、どうせ日本でも負け犬のままですから、アメリカで1つでも階段を上れだなと思うまでは帰ってきては行きません」と。
それはお父さん?
母親だったかな。今、両親に聞いても「そんなこと言ったかなー」って言うんですよ。
(笑)
それから、ようやくスイッチが入って、これ全部自分でやるんだと思ってやって、それまでやってこなかったことに気付いて、恐怖で膝から崩れ落ちました。
今の結果は自分が積み重ねてきたことで、その現実を受け入れられるかどうかが、そのまま落ち込んでいくのかどうなのか。人のせいにして、ひねくれてしまうと、現状から抜け出すことはできないですよね。
そうですよね。
そうならなかったのは?
生物的に死んじゃうと思ったんですよ。アメリカで本当に友達もいない状態で初めて生命の危機というのを感じて。
生物として遺伝子のスイッチが入って。
生きなければいけない、生きるためにはどうしたらいいんだろうと、スイッチが入った。
人に頼れる状態にあると頭で考えてしまうと、頑張れないですよね。自分のせいだって思えないですよね。
僕も本当にポケットの中に500円の時はこのまま死ぬと思いました。
遺伝子のスイッチが入って働く
その後、何とか脱却してそこそこ大きい食品卸の会社に入るんです。時給14ドルの事務作業員として。
同僚はつまんない仕事をやりたくないんですよ。だから面倒な請求書の整理の仕事がどんどん回ってくるんですけど、
もうそん時には腹をくくってるんで、
ここで頭角をあらわさなきゃ人生も詰んじゃうなと、人よりも
10年ビハインド。どんどん回ってくる書類の整理を僕は1分でも早くやるためにどうやればいいんだろうと考えました。
ここ重要ですよね。仕事に対してなんとなくこなすのではなくて、1分でも早く仕事を終わらせて、そこで、自分の時間で新しい仕事を獲得していく。
指サックの鬼と言われていました。
(笑)
「いい歳こいて書類の整理なんかして、面白くないじゃないですか」と、同僚の人がからかいにくる。
営業マンしか出世できない会社だったんです。
けれど、僕は事務仕事に高い価値を感じていました。
目的に対して、ルールが制定されるのであれば、ルールはすごく大事じゃないですか。
事務方がルールを作る。ルールを作る側に回ると決めました。
現行のルールの中できっちりやり遂げて、その後自分に説得力を持たせて、ルールを作る側に回るしかないなと、そう思って、書類整理をしていました。
僕もポケットの中500円になった時に、選ぶ余地がなくて、もうそれをやらなければならなかったっていうのが、実はスーパーマンになれるかなれないかみたいな、最終的な分岐点になってるんです。
指サックの鬼みたいに考えだして、仕事に向き合って全力でやる。大事なことは、その背水の陣になって全力でやらざるを得ないことなんですよ。
20年選手の自尊心を操り気持ちよく相手から情報を引き出す
おそらく仕事を楽しそうにやってたんですよ。
普通の人がやらない、めんどくさい仕事を全力でやっていることを見てくれていた人が会社内にいたんですか?
積極的に仕事を頑張っていたので、あいつだったら、やるだろうと上司から思ってもらえていました。
その時、”私が働いていないと会社が回らないだろう”と、思う
20年選手の先輩がいたんですけど。
その時の上司の思惑としては、僕にその20年選手の仕事を覚えさせて、テイクオーバーできれば、会社にとって横柄な20年選手がいなくなっても会社として困らないから、やってくれと言われてた。
その20年選手の先輩は仕事を奪われたくないから、絶対僕に教えないってここからスタートするんですよ。
うんうん。
だから僕のミッションは、いかその人の自尊心をくすぐって、僕に彼女の知識をいかに気持ちよく、全部トランスファーするかっていうプランを立てるわけですね。
この方法で実現させ、全部彼女の仕事を僕ができるようになったんです。しかもより効率的に。
今でもそうですけど、なるべく心掛けてるのはそういう対象になった人の自尊心も尊重する。
大事ですよね。
敵ではないので。この人も生かすし、自分も生きるし、組織も生きれば、誰も損しない。
地位と役割
どっちが正しいとか、正しくないとかどうでもよくって。
組織として目標に向かって前に進むのであれば、なんでもいいなと。
そいいうやり方でやってたら、人徳というか、だんだん、みんなから相談事が集まってくるようになるんです。
そのタイミングで、その時の上司と自分のポジションが入れ替わりました。
すごいですね。
その時に直感的に、きっとこれからもこういうことをあると感じました。
立場はあくまでその一過的なもので役割分担だから偉いとか偉くないじゃなくて、その役割をちゃんと全うして、うまくチームを使っていくっていうことが大事だと素直に思えたんです。
底辺まで落ちてるから、世の中に対して感謝しかなくて、当時仏様のようなマインドだったんですよ。
(笑)
これがもしホームレスとかになっていなかったら、たぶん嫌なやつだったと思うんですよ。
”お前は使えねえから、俺の方が上になったんだ。”
”俺の方が偉いんだから言うこと聞けよ”
とかやったかもしれないんですけども。
全てが運命のような感じがして、それに対して関わる人をなるべく嫌な気持ちにさせない、なるべくみんながこう気持ちよくやれた方が仕事としては絶対結果が出ますよね。
それがすごい大事で、自分に仕事を教えてくれないやつがいたら、嫌なやつじゃないですか。
だから対立しがちなんですけど、情緒と戦略性みたいなものがちゃんと選択できてないんですよ。
感情でむかつくからって何かをしても何の得もないんですよね。
逆にいうと、そこをちゃんとコントロールできて、自分のメリットが相手のメリットと繋がって、正面対峙して戦わないためにどうするかが大切ですよね。
最終的に人って一番恨みに思われることって自尊心を傷つけることなんですね。
そうそうなんですよね。
相手を追い込み過ぎても絶対にダメですね。
それはその瞬間は勝てるかもしれないけど、失うものがものすごく大きい。
そうなんですよねで、周りの人もそれを見ていて、あいつに敵対するとやられるっていう怖さがあって。
距離が生まれ。
あの人は常に人を生かすよね。殺さないよね。
面子潰さないよねみたいなことが見えてくると、人は安心して、その人に近寄って来れるんですよね。
これが境遇を変えていく上で、最も大事ですよね。
そうそう。
苦しい時から這いあがろうと一生懸命やってるじゃないですか、そういう自分に厳しくなると同時に人にも厳しくし過ぎちゃうんですよ、それはしょうがないことなんですけど。
でも、できる限り人に優しくというか。人に対して優しくできないと境遇変わんないですよ。
仕事は居場所
僕、居場所がないと感じたんです。ホームレスになりかけて、色んな会社の面接に行って。でも全部落ちて。
俺、社会に必要とされてないんだって思ったんです。
社会に居場所がないんだって思ったんです。
だから僕は仕事って社会と繋がるためにすごく大事なことで、社会に存在を許されるのは、仕事を通して社会に居場所を作ったからだと思ったんですね。
仕事を一生懸命やるんだけど、それは仕事をこなすという意味じゃなくて、そのやってる仕事が誰かを幸せにするとか、自分を幸せにするとか、そういうことを通して人は世の中に自分の居場所っていうものをちゃんと作れていくってすごい思うんですよ。
そうですよね。大事ですよね。
食品卸の会社で事務屋さんだったんですけど、人事、経理、総務、輸入通関、倉庫、配送、営業事務
営業以外全部っていうのが最終的な僕のマネージャーとしての肩書きでした。
4年間で、ナンバーツーになりました。
僕がそのホームレスの時に人に無視されることとか、人に耳を傾けてもらえないこととか、人に気にかけてもらえないっていうことがすごい苦しかったので、
少なくともマネージャーとして僕が彼らのことをちゃんと見ていることとか、彼らの話をちゃんと聞くっていう姿勢はきちっと伝えようって思ってやっていました。
そしたら、その会社すごい給与を低くて、離職率が高かったんですけど、離職率ゼロになりました。
こんなことやってたら、若い後輩が人材紹介の会社に転職するんですよ。
その会社に富士ソフトがアメリカ法人を作る時に現地のオペレーションをビジネスオペレーションを回せる人を探してほしいという依頼を掛けた時に、
その後輩の子がすぐ連絡してきて、転職しませんかという話があって、
いい機会になると思うから、絶対受けた方がいいって、その子が言うんで。
もうすごいですね。
面接を受けに行きました。
その時の面接官もいろんなベンチャーへ行ったり、色んな苦労してる人で僕の経歴見て、
「もしうちの会社に入るんだったら何がしたいの?」って言われて、
僕は会社の中で企業文化っていうものをすごく大事に思ってるから、この会社で僕を入社させてくれるんだったら、
ゼロからこの会社の企業文化を俺は僕は作りたいですと。
だからそれを任せてもらえるんだったら、ぜひやりやりたいって言ったんですよ。
その後、僕は富士ソフトに入ることになるんですけど、人の出会いとか何か縁のようなものをすごく感じました。
give & give & give
ある時にメンターの人とも出会えて、その人が
「君はgive & takeのtakeの事は考えなくていいから、
give & give & giveで行け」と。
そうしたら、3年後には経営者になってるって言われたんです。
give & give & giveって人から言われて素直にそれを聞いてやるって。
普通の人はできないんですよ。
そうですか。
そうですよ。そういうところが中島さん強いところ。
才能ですよね。
三方よし
僕、近江商人の”三方よし”っていう言葉はすごい好きで、やっぱり自分の行っていることが自分がすごい楽しくて幸せなことが、誰かを幸せにするとか、周りの人を幸せにしてくっていう素晴らしい良いことだなって思います。
でも、すごくレベルが高い話で難しいんだけど。でも自分を殺して自分が苦しい思いして、それでお客さんに尽くしたところで長続きしないし、それは世の中のためにならないと思うんですよね。
自分が楽しめるっていうのはすごく大事なことだよっていう話を部下にもするんです。
居場所さえちゃんとあって安心して、よい仕事をやってたら、すごく仕事っていうのは面白いので、これ今日のキーワードかなって思います。
Tsunehisa Nakajimaさん、この度はありがとうございました!
この記事では書ききれなかった、Tsunehisa Nakajimaさんと弊社代表中村とのジャズセッションのような
トークイベントの内容は、SUNABACO公式Youtubeチャンネルでも全編公開中です。
気になった方は是非、こちらもご覧ください!